イーハトーブ・・・遠野の旅-1
数年前に行くチャンスを逃がして以来憧れていた遠野旅行は、すべてに恵まれた素晴らしい旅でした。
何と言っても
★ お天気に恵まれ、気温も名古屋と変わらない穏やかさ。ユニクロの出番なし・・・
初日、一ノ関駅まで出迎えて下さった方の話では土砂降りの雨が上がったばかりらしい。
★ 同行9人、年齢も出身校も性別もばらばらの40年以上前のサークル仲間は、さながら異業種文化交流会。
★ 宿泊は、個室で。
★ これが最も有難いことでしたが・・・
緻密で流動性のある無駄のないプランを立て、小型バスで終日案内をして下さった方の存在です。
ロータリアンで、商工会幹部と紹介されても気楽に軽口の利ける、ひょうきんで楽しい物知りさん。
マイクロバスを自ら運転して、全行程ご一緒して下さいました。ホテルもご一緒^^
偉大な先輩の人脈のお陰、と感謝・感謝ですが、会社、大丈夫だったのでしょうか・・・
2泊3日のイーハトープ=岩手の旅、どの辺りに行ったのか地図にしてみました。クリックで大きくなります。
一日目・・・一ノ関駅から向かったのは平泉。
清水寺を建立した、征夷大将軍:坂上田村磨が建てたと言われているこの毘沙門堂、確かに清水寺によく似ています。
高い床の下は、合戦に敗れた者や乞食などの休む場所とされていたそうです。
風雨に晒され崩壊の始まっている≪岩面大仏≫は、源義家が馬上から弓を放って彫った伝説があります。
平成元年、平安様式の美しい本堂が(再)建立されました。
平安時代の作庭様式を残す日本最古の庭園があります。
その中心をなす≪大泉が池≫に水を導く水路=遣水(やりみず)では、毎春、≪曲水の宴≫が華やかに行われます。
そして・・・芭蕉の有名な一句、
夏草や兵どもが夢のあと
は、ここで詠まれたそうです。
ここでも、芭蕉の俳句五月雨の降り残してや光堂 を後に・・・遠野のホテルへ。
夕食の前に≪語り部≫の昔話を聞きます。
”むかし、あったづもな。”で始まり、”どんどはれ”で終わります。
方言での話、70~80%、理解出来ました。面白かったです。
旅日記、2日目と3日目は、続く・・・という事にさせて下さい。長くなってすみません。
★ お天気に恵まれ、気温も名古屋と変わらない穏やかさ。ユニクロの出番なし・・・
初日、一ノ関駅まで出迎えて下さった方の話では土砂降りの雨が上がったばかりらしい。
★ 同行9人、年齢も出身校も性別もばらばらの40年以上前のサークル仲間は、さながら異業種文化交流会。
★ 宿泊は、個室で。
★ これが最も有難いことでしたが・・・
緻密で流動性のある無駄のないプランを立て、小型バスで終日案内をして下さった方の存在です。
ロータリアンで、商工会幹部と紹介されても気楽に軽口の利ける、ひょうきんで楽しい物知りさん。
マイクロバスを自ら運転して、全行程ご一緒して下さいました。ホテルもご一緒^^
偉大な先輩の人脈のお陰、と感謝・感謝ですが、会社、大丈夫だったのでしょうか・・・
2泊3日のイーハトープ=岩手の旅、どの辺りに行ったのか地図にしてみました。クリックで大きくなります。
高い床の下は、合戦に敗れた者や乞食などの休む場所とされていたそうです。
風雨に晒され崩壊の始まっている≪岩面大仏≫は、源義家が馬上から弓を放って彫った伝説があります。
平成元年、平安様式の美しい本堂が(再)建立されました。
平安時代の作庭様式を残す日本最古の庭園があります。
その中心をなす≪大泉が池≫に水を導く水路=遣水(やりみず)では、毎春、≪曲水の宴≫が華やかに行われます。
そして・・・芭蕉の有名な一句、
夏草や兵どもが夢のあと
は、ここで詠まれたそうです。
ここでも、芭蕉の俳句五月雨の降り残してや光堂 を後に・・・遠野のホテルへ。
夕食の前に≪語り部≫の昔話を聞きます。
”むかし、あったづもな。”で始まり、”どんどはれ”で終わります。
方言での話、70~80%、理解出来ました。面白かったです。
旅日記、2日目と3日目は、続く・・・という事にさせて下さい。長くなってすみません。
by kosuzume2
| 2010-10-20 21:39
| 旅