在日・母~オモニー / 透光の樹
近頃読んだ3冊、まとめてです。
姜 尚中(カン サンジュン) : 著
集 英 社 文 庫 (在日): 発行
集 英 社 (母 オモニー): 発行
う~~ん・・・困っています。
複雑な思いが、ブログに書けるようにまとめられません。
余程スル―しようかと迷いながら・・・少しだけ書きます。
初め、≪母~オムニー≫を読んで、何か違和感と言うか落ち着かない思いを抱いてしまいました。
会話は一行のスペースを開けて・・・時が混乱します。いえ、することがあります。
別の場面になるのが唐突な感覚になります。
文章は修飾語が多くて、飾り過ぎかな?
リズミカルな感じはしますが紋切り型ともいえる、ルビつきで難解な言葉は論文やリポートにありがち。
もっとシンプルな表現が好きだなぁ、と読みが止まってしまいます。
そして・・・時々主人公の【私】のスタンスがわからなくなりました。
虚構をつくりあげるのが小説ではあるけれど、ぼくは作家ではありません。自伝的なものだけになるべく
虚がないようにと心掛けました。
母は文字を読めませんでしたから、文字情報を一切、残していないんです。日記もなければ、手紙もない。
つまり、自分の痕跡を残せなかった。それだけに、いま、母のことを書いておかなければという気持ちに
なったのです (著者の言葉)
「日本全体が貧しく、家族同士の体温が熱かったあの時代の記憶を呼び覚ます」
とオビにありますが、日本人も『在日』の朝鮮人も同じように苦難を体験した時代では?と感じるところもあって・・・
この違和感は≪在日≫を読めば消えるかと、読んでみました。
今大人気の社会学者・東京大学大学院教授、他・マスコミの人気者、姜尚中氏の自伝。
自分は日本人ではないし、朝鮮民族にもなりきれないという「在日朝鮮人」の思いが拭いきれない姜氏。
朝鮮戦争の頃在日韓国人二世として熊本で生まれ、両親を始め在日一世の人生を見ながら過ごした少年時代から現
在に至る『在日』としての多面的な経験:過去が書かれています。
分裂質的なわたしの性格が、父母とわたしを取り巻いてきた『在日』の環境からなにがしかの影響をこうむった
ことは間違いない。
わたしの勝手な解釈かもしれないが、母がそうなった のは、先天的な要因というよりも、やはり『在日』という境遇
の影響が大きいと思わざるを得ない。 (文中から引用)
母がそうなった↗というのは、「静」と「動」の振り幅が大きく、
疳癪が爆発した時は、誰も手がつけられなくないほど烈しく、ただそれが自然に治まって行くのを待つだけ、と
書いてあります。
その原因を、『在日』の境遇の影響と思わざるを得ないと言われても複雑です。
そうかもしれないし、そうでないかもしれないことなのに・・・そこに結論を振りますか?
『在日』の方への偏見や蔑みはある程度事実ですね。
火病(かびょう)という強い怒りの発散=癇癪の行動を伴う病気を持つ人が多いらしい民族性との関連かもしれません。
その激しさは、日本人がちょっとたじろぐ雰囲気が・・・
それと、ちょっと不思議に思うこともあります。母~オモニーにも、この≪在日≫にも書かれていますが、
◆ご両親が在日一世になられる経緯、ご自分達の意志で日本に来られたことや、
◆社宅住まいの出来る環境にいらしたこと。
◆更には、日本で大学まで進まれて、日本国憲兵になられたおじさんがいらしたこと。
戦時下の朝鮮人としてはめずらしく、と著者の言葉通り、当時の大学進学は日本人でもエリートだったでしょう。
それが出来る環境は、『在日』の方への差別はなかったのでは?と推測しますが、違うのかしら?
1月31日:追記
問題が違うと言われるかもしれませんが、
垣根涼介 の≪ワイルドソウル≫を読んだ時の驚きを思い出しました。
戦後の食糧難を回避する目的で、“棄民政策”即ちブラジルへの移住政策を1961年、日本政府はを勧め、
夢と希望を持ってその道を選んだ人々の、想像を絶する地獄の日々・・・
ジャングルでの獣に等しい生活に、移住者のほとんどが病に息絶え、野垂れ死んだ。
これは、小説ですが事実でもあるそうです。
高 樹 の ぶ 子: 著
文 藝 春 秋 : 発行
友人が貸してくれた一冊で、(谷崎潤一郎賞受賞作品)
この著者のものは、たしか≪光抱く友よ≫を同じ友人から借りて読んだ記憶があります。
以後、積極的に自分れ買う気にはなれなかった・・・
日本経済新聞の連載で楽しみだった≪甘苦上海≫で、
機会があれば読んでみようかとも思っていました。
が、これは、好みではありませんでした。
TV制作会社の男:郷と、かつて彼が取材に訪れた刀工の娘:千桐の物語。
妻子ある郷と、離婚して子連れで実家に戻り、ほぼ寝たきりの刀鍛冶だった父親の介護に明け暮れる千桐・・・
本を返してしまって年齢を確かめられませんが、中年の2人の恋は、真摯ですが生々しい^^
舞台の鶴来(つるぎ)という北陸の町は、剣が由来。
旅先の富来(とぎ)=研ぎを由来とする町と共に、
刀鍛冶の500年の歴史を持つことは、いい事知っちゃった!な収穫でした。
女性からの観点と想像で書かれた男の恋愛の感情、何か著者の憧れか期待にも撮れてしまうのですが、
この本の内容について誰かに本音を聞いてみたい。
でも、まず出来ません~~
こちらに引越しました。
よろしくお願いします。
姜 尚中(カン サンジュン) : 著
集 英 社 文 庫 (在日): 発行
集 英 社 (母 オモニー): 発行
う~~ん・・・困っています。
複雑な思いが、ブログに書けるようにまとめられません。
余程スル―しようかと迷いながら・・・少しだけ書きます。
初め、≪母~オムニー≫を読んで、何か違和感と言うか落ち着かない思いを抱いてしまいました。
会話は一行のスペースを開けて・・・時が混乱します。いえ、することがあります。
別の場面になるのが唐突な感覚になります。
文章は修飾語が多くて、飾り過ぎかな?
リズミカルな感じはしますが紋切り型ともいえる、ルビつきで難解な言葉は論文やリポートにありがち。
もっとシンプルな表現が好きだなぁ、と読みが止まってしまいます。
そして・・・時々主人公の【私】のスタンスがわからなくなりました。
虚構をつくりあげるのが小説ではあるけれど、ぼくは作家ではありません。自伝的なものだけになるべく
虚がないようにと心掛けました。
母は文字を読めませんでしたから、文字情報を一切、残していないんです。日記もなければ、手紙もない。
つまり、自分の痕跡を残せなかった。それだけに、いま、母のことを書いておかなければという気持ちに
なったのです (著者の言葉)
「日本全体が貧しく、家族同士の体温が熱かったあの時代の記憶を呼び覚ます」
とオビにありますが、日本人も『在日』の朝鮮人も同じように苦難を体験した時代では?と感じるところもあって・・・
この違和感は≪在日≫を読めば消えるかと、読んでみました。
今大人気の社会学者・東京大学大学院教授、他・マスコミの人気者、姜尚中氏の自伝。
自分は日本人ではないし、朝鮮民族にもなりきれないという「在日朝鮮人」の思いが拭いきれない姜氏。
朝鮮戦争の頃在日韓国人二世として熊本で生まれ、両親を始め在日一世の人生を見ながら過ごした少年時代から現
在に至る『在日』としての多面的な経験:過去が書かれています。
分裂質的なわたしの性格が、父母とわたしを取り巻いてきた『在日』の環境からなにがしかの影響をこうむった
ことは間違いない。
わたしの勝手な解釈かもしれないが、
の影響が大きいと思わざるを得ない。 (文中から引用)
母がそうなった↗というのは、「静」と「動」の振り幅が大きく、
疳癪が爆発した時は、誰も手がつけられなくないほど烈しく、ただそれが自然に治まって行くのを待つだけ、と
書いてあります。
その原因を、『在日』の境遇の影響と思わざるを得ないと言われても複雑です。
そうかもしれないし、そうでないかもしれないことなのに・・・そこに結論を振りますか?
『在日』の方への偏見や蔑みはある程度事実ですね。
火病(かびょう)という強い怒りの発散=癇癪の行動を伴う病気を持つ人が多いらしい民族性との関連かもしれません。
その激しさは、日本人がちょっとたじろぐ雰囲気が・・・
それと、ちょっと不思議に思うこともあります。母~オモニーにも、この≪在日≫にも書かれていますが、
◆ご両親が在日一世になられる経緯、ご自分達の意志で日本に来られたことや、
◆社宅住まいの出来る環境にいらしたこと。
◆更には、日本で大学まで進まれて、日本国憲兵になられたおじさんがいらしたこと。
戦時下の朝鮮人としてはめずらしく、と著者の言葉通り、当時の大学進学は日本人でもエリートだったでしょう。
それが出来る環境は、『在日』の方への差別はなかったのでは?と推測しますが、違うのかしら?
問題が違うと言われるかもしれませんが、
垣根涼介 の≪ワイルドソウル≫を読んだ時の驚きを思い出しました。
戦後の食糧難を回避する目的で、“棄民政策”即ちブラジルへの移住政策を1961年、日本政府はを勧め、
夢と希望を持ってその道を選んだ人々の、想像を絶する地獄の日々・・・
ジャングルでの獣に等しい生活に、移住者のほとんどが病に息絶え、野垂れ死んだ。
これは、小説ですが事実でもあるそうです。
高 樹 の ぶ 子: 著
文 藝 春 秋 : 発行
友人が貸してくれた一冊で、(谷崎潤一郎賞受賞作品)
この著者のものは、たしか≪光抱く友よ≫を同じ友人から借りて読んだ記憶があります。
以後、積極的に自分れ買う気にはなれなかった・・・
日本経済新聞の連載で楽しみだった≪甘苦上海≫で、
機会があれば読んでみようかとも思っていました。
が、これは、好みではありませんでした。
TV制作会社の男:郷と、かつて彼が取材に訪れた刀工の娘:千桐の物語。
妻子ある郷と、離婚して子連れで実家に戻り、ほぼ寝たきりの刀鍛冶だった父親の介護に明け暮れる千桐・・・
本を返してしまって年齢を確かめられませんが、中年の2人の恋は、真摯ですが生々しい^^
舞台の鶴来(つるぎ)という北陸の町は、剣が由来。
旅先の富来(とぎ)=研ぎを由来とする町と共に、
刀鍛冶の500年の歴史を持つことは、いい事知っちゃった!な収穫でした。
女性からの観点と想像で書かれた男の恋愛の感情、何か著者の憧れか期待にも撮れてしまうのですが、
この本の内容について誰かに本音を聞いてみたい。
でも、まず出来ません~~
よろしくお願いします。
by kosuzume2
| 2012-01-30 23:32
| 本